これは、志貴が『根源の力』に目覚めて、一年程経ったある日に起こった、当人達にとっては悪夢と言える話である。
この日七夜の里の広場では女性陣が、老若関係なく集まっていた。
「皆さん、集まったのは他でもありません。明日はバレンタインデーと言う、女性が好きな男性にチョコレートと言うお菓子自分で作って渡す日と言う事です」
そう言うのは七夜真姫。
「この七夜も『七つ月』を発足して早一年、大分下界の物資や情報が流れてきました。そこで私達も下界の女性に習って実際にチョコレートを作り好きな男性、男の子に渡そうと思います」
それに全員が『はーい』と二つ返事で返した。
特に女の子達には気合が漲っていた。
幸い今日から明日、七夜の里では男性陣の殆どが遠出の修行又は仕事に出ている。
今残っている男性は長老達や、本当に幼い乳飲み子位である。
この秘密がばれる心配は無い。
「では作り方の書いてある本や材料・器材は全員分用意していますので、作り始めてください」
それと同時に全員材料や器材を手に自宅に帰って行った。
「さて、じゃあ私達も作り始めるわよ翡翠・琥珀」
「「はい、お母さん」」
真姫の言葉に元気良く答える翡翠に琥珀。
二人とも並々ならぬ程気合が入っていた。
無論だが二人とも渡すのは志貴に他ならない。
「あっヒスちゃんコハちゃん」
「ねえ待って」
とそこに二人の同じ顔立ちの女の子が駆け寄ってくる。
「あれ?雪ちゃんに」
「小夜ちゃん?」
「あら?どうしたの?二人して」
そう言って真姫が同じ視線までしゃがむ。
雪と小夜と呼ばれた二人・・・七夜王漸の孫である七夜雪そして妹、小夜の双子姉妹・・・は少し恥ずかしそうに
「ヒスちゃん、一緒にチョコレート作ろう」
「良いけど・・・おばさん達は?」
「お母さん達皆、自分の事で精一杯であたし達まで手が回らないの」
「他の子達もそうだから、それだったら皆で一緒に作れないかなと思って」
「そうなの・・・それも良いわね翡翠、琥珀、皆と一緒に作る?」
「「うん!!」」
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「はーい!」
「じゃあ行こう!」
「うん!」
「ヒスちゃんとコハちゃんお借りしまーす!!」
そう行って駆け出す。
「ねえ、雪ちゃんはやっぱり晃君に渡すの?」
「で、小夜ちゃんは誠君だよね?」
「「えっ!」」
二人は同時に頬を赤らめる。
「う、うん・・・」
「で、でも誤解しないでよ!あたしは別に誠なんて・・・」
しどろもどろで言い訳に近い弁明をする二人。
それをおかしそうに見ている翡翠と琥珀。
「そ、それよりヒスちゃん達はどうするの」
「そ、そうよ!あたし達よりも二人の方が気になる!」
「「もちろん志貴ちゃんに渡すの!」」
聞いた方が絶句しそうなほど力強く断言する二人。
この日、里には甘いチョコレートの匂いが夜遅くまで漂う事となった。
「きゃー焦げてるー」
「分量違うわよ!!」
「だ、だめよ!!それ入れたら!!」
そんな悲鳴も耐える事は無かった。
翌日、昼頃となり七夜の男性陣が総出で戻ってきた。
「やっぱり志貴は強いや」
「本当、俺一回は当ててやろうと思ったのによ」
「まったくお前達は・・・里に帰ったらまたみっちりと鍛えないとな・・・」
「はははっ、まあ、今日位はゆっくりとさせてやれ」
「そう来なくちゃ!!」
そんな風に笑いあう七夜の男の子達に苦笑しながらも穏やかに笑い返す大人達。
それに混じって七夜志貴は従兄弟である七夜晃、七夜誠と談笑している。
「あ〜悔しい!結局また志貴に全敗だー!!志貴どうやったらあんな動き出来るんだよ?」
「いや、僕に言われても・・・」
「晃、あまり志貴を苛めるなって」
「良いよな、誠は一回だけでも志貴に勝ったんだから」
「僕は志貴に三回勝てたよ。その代わりお前には全敗だろう?」
どちらかと言えば力任せの戦法を得意とする晃、スピードと手数が強みの誠、そして剛と柔の均整が取れた志貴、この三人どうもじゃんけんの様な力関係が出来つつあった。
晃は志貴に弱く、志貴は誠を苦手とし、誠は晃の戦いではやや辟易する。
その後方では七夜黄理は兄の楼衛、そして王漸らと後ろで会話を聞きながら歩いていた。
里まであと少しの所で不意に志貴が足を止めた。
「??志貴どうした?」
「う、うん・・・なんか変な匂いしない?」
「匂い?・・・確かに何か匂うな・・・」
奇妙に甘ったるい匂いが里の方向から漂って来た。
「うわっ何だ!!この匂い!」
「御館様!まさか里に何か?」
「いや、これは死臭とも違う・・・しかし、用心するに越した事はあるまい」
黄理の一言に全員が頷く。
そして、里に慎重に入るが、里自体には異変は無い。
死体も死臭も無い。
敵意もないし殺気も無い。
ただいつもの七夜の里に変化は無い・・・この甘ったるい匂い以外は・・・
「何も異常はありませんね御館様」
「この匂いだけでも充分異常と思うが」
「・・・しかし、何なんだ?この匂い?」
「とにかく戻ろう父さん。母さん達が心配だよ」
「そうだな・・・よし、全員自宅に戻り家族の安否を確認しろ。異変を確認したら直ぐに知らせる事良いな」
『はっ!!』
その言葉と同時に自分の家に散っていく七夜の男性陣。
「志貴、俺達も帰るぞ」
「はい」
そう言い、志貴と黄理が歩き始めた時
「うわぁあ!!」
「ぎぇええええ!!」
各家から悲鳴が響いてきた。
「と、父さん?」
「・・・志貴まずは屋敷だ」
「は、はい・・・」
二人は振り向く事無く歩き始めた。
何か向かってはならないと言う本能が騒ぎ立てた為であった。
少し視線を変える。
「父ちゃん、なんだろ?この甘ったるい匂い」
「ああ、鼻がひん曲がりそうだ」
家路に着く晃と楼衛であったが、
「あっ・・・晃・・・」
「!!げっ、雪・・・」
姿を見せた雪に露骨に嫌な・・・と言うよりは困惑した・・・顔をする。
「おっ雪か」
「あっおじさん・・・お疲れ様です」
「なにそうでもねえさ。晃、俺は先に家に帰ってるぞ。雪が無事ならそう大した事は起こっていねえだろ。ゆっくりしていろ」
「へっ?ちょっと!父ちゃん!!困るってそんなの!!」
慌てふためく晃を尻目にさっさと帰路に着く楼衛。
「晃、もしかして私に会うのいや?」
それを見て泣きそうな顔をする雪に、それで更に慌てふためく晃。
「い、いや、嫌と言うか・・・そう言う訳じゃなくて・・・」
子供達のまとめ役を自然にこなし、常に先陣に立ち、そうそう一族の人間を毛嫌いする事は無い晃だったが、雪だけは苦手としていた。
だが、嫌いと言う訳ではない。
好きか嫌いかと聞かれれば好きな方に入るだろう。
だが、どうしても雪を目の前にすると何かむず痒い様な、くすぐったい様な妙な感じを覚えてしまう。
それをこの当時の晃は自分でもその感情を持て余し気味でその為、雪を若干避けていた。
「そう・・・で、晃・・・これ・・・」
不安げにおずおずとこげ茶色の物体を差し出す雪。
「??何だコリャ?粘土細工か?」
「ううん・・・チョコレートって言うお菓子・・・」
「へっ?食いもんか?」
「うん食べられるよ・・・晃にあげたくて一生懸命作ったんだ・・・」
「そ、そうか・・・」
匂いは里周辺に漂うあの匂い。
「なあ、雪・・・里全体がこの匂いに覆われているけど・・・」
「あっ、それ多分、皆で作ったからかも知れない」
「皆?」
「うん、小夜もそうだし、ヒスちゃんにコハちゃんも女の子達皆、それにお母さん達も」
「母ちゃん達も?でもなんで?」
「えっと・・・下界だと今日は『バレンタインデー』って言うこれを渡す日なんだって・・・だから」
「えっと・・・俺にくれるのか?」
「うん、晃に渡そうって決めてたから」
輝かんばかりの笑顔でそう言う雪を直視できずそっぽを向く晃。
「ち、ちょうど良いや。あ、あ、甘いの欲しかった所だし・・・」
平静を装って見ても動揺しているのは丸判りだった。
「はい」
「ああじゃあもらうよ」
そう言って一つぽいと口の中に放り込んだ。
一方・・・
「誠!!!見つけたわよ!!!」
まるで敵を見つけたような勢いで小夜は誠に駆け寄る。
「あれ?小夜ちゃん??どうしたんだ?」
「どうしたじゃないわよ!!何ほっつき歩いているのよ!!おかけで里中走り回ったじゃないの!!」
どこか理不尽を覚えさせる台詞を清々しさすら感じさせる口調で畳み掛ける小夜。
「いや、ほっつき歩くって・・・えーと・・・ごめん」
何一つ悪くない筈なのだが小夜の勢いに負けて思わず謝る誠。
「判れば良いのよ。それよりも!!誠、これ食いなさい!!」
ずいっと誠に対して手に持っていたそれを突き付ける。
「???小夜ちゃん、これ何?」
「チョコレートよ!!チョコレート!!見てわかんないの?」
(全然わかんないよ)
内心でだけ答える。
下界で見たチョコレートと言うものはもっと美味しそうなものだった筈だ。
何故小夜の差し出したチョコレート(?)は草の色をしているのだろうか?
「早く食いなさい!あたしがあんたにだけあげようとしているんだから!」
拒否など許さないと言わんばかりの気迫で誠に迫る小夜。
「え、えっと・・・雪ちゃんはどうしたの?」
少しでも処刑執行を延ばそうといつもなら二人一緒にいる筈の双子の姉の雪の事を聞いてみる。
「お姉ちゃん?お姉ちゃんなら晃の所よ」
「晃の方に?」
「ええ、ったく、お姉ちゃんも物好きよね。どうしてあんながさつなのが好きなのかしら?」
「は、ははは」
情け容赦ない口調で畳み掛ける小夜。
「で、誠ほら!早く食べなさい!!」
「え、えーーーーっと・・・」
「食べないの?」
「い、いや・・・」
正直言えば食べたくない。
だが、食べないと大変な事になる・・・
「・・・そっか・・・誠食べないんだ・・・そうなんだ・・・ひっく」
突然、小夜が涙をぼろぼろ零すとその場に蹲って大声で泣き出した。
「うわあああああん!!!」
「ああああああ!!小夜ちゃん!!食べる!!食べるからお願い!泣き止んで!!」
「・・・本当?」
今までの勝気な一面が嘘の様にしおらしくなっている。
「う、うん・・・直ぐに食べるよ」
もう後に引けない。
覚悟を決めて誠はそれを口に運んだ。
屋敷からは更に濃厚な甘い匂いが漂ってくる。
「ここまで来ると・・・凄いね・・・」
志貴は手で鼻を押さえながらしみじみと感想を口にする。
「まったくだ・・・」
黄理も言葉少なげにそう言うしかなかった。
「「ただいま」」
それでも、屋敷に入ると早速翡翠と琥珀が駆け出してきた。
「「おかえりなさい!!お父さん」」
「ああ、今帰った」
「志貴ちゃん、お帰り!!」
「うん、ただいま翡翠ちゃん」
「志貴ちゃん・・・」
「ん?どうしたの?琥珀ちゃん」
「あ、あのね・・・」
「そ、その・・・」
志貴の問い掛けに翡翠と琥珀は恥ずかしげにもじもじとしていたが、やがて
「「はい志貴ちゃん!!」」
手に何かを持って志貴に差し出してきた。
それはいびつに変形したハート型の茶色っぽい代物であった。
「???これは・・・なに?」
「「チョコレート!!」」
二人は志貴の引きつった問い掛けに元気良く答える。
「志貴、二人共志貴に食べて欲しいから一生懸命作ったんですよ」
そこに真姫が穏やかに笑いながらやってきた。
「御館様お帰りなさいませ」
「あ、ああ・・・」
「それで御館様、私も・・・下界の女性に習ってチョコを手作りさせて頂きました。どうぞお召し上がり下さい」
そう言って真姫は黄理の手を取り奥の間に連れて行った。
「志貴ちゃん!!お部屋で食べよう!!」
「行こう・・・」
半ば強引に翡翠と琥珀も志貴の手を取り引いていく。
志貴が部屋に入ろうとした時何処からか黄理の苦しげな悲鳴を聞いたような気がした・・・
部屋に入ると早速、
「じゃあ志貴ちゃん」
「食べて・・・」
「う、うん・・・」
志貴としては食べる事に危険を感じたが食べないともっと危険な気がした。
「じゃあ・・・まずは・・・」
そう言って一つを手に取り恐る恐るかじって見た。
すると、
「美味しいや!!」
見かけに比べるとそれはほど良い甘みと苦味がきいて美味しかった。
「本当?」
志貴の言葉に琥珀が嬉しそうに聞く。
「うん、これ琥珀ちゃんが?」
「うん、一生懸命作ったの・・・」
「美味しいよ」
「よかったぁ・・・」
しきりに褒める志貴に真っ赤になりながらも本当に嬉しそうに笑う琥珀。
しかし、それを見て翡翠がややむくれた表情で
「志貴ちゃん!!!」
二人の間に割って入る。
「志貴ちゃん!私の分も食べてよ!!」
そう言ってチョコを出す。
「あっそうか・・・ごめんね翡翠ちゃん、じゃあ」
志貴には油断があった。
琥珀がこれだけ美味しく作ったのだから、翡翠も上手くいっているに違いないと。
志貴は警戒を何もせずに翡翠の作ったチョコを口に放り込んだ。
次に志貴が気が付いた時三日経っていた。
どうも、志貴が翡翠のチョコを食べて失神したらしい。
しかし、それを咎める者はいなかった。
大なり小なり男性陣はことごとく志貴と同じ症状に陥っていたと後で聞いた。
特に志貴は一番酷かったらしく、一時脈が止まったほどであったと言う。
晃と誠も熱にうなされ、二日間寝込んだと言う。
後日男性陣が女性陣に話を聞くと、『甘いだけだとつまらないから色々入れて見ましょう』と言って、何も知らない翡翠や女の子達が訳のわからない薬や果ては毒草まで叩き込んだと言う事実を掴んだ。
結局、この日七夜の男性陣の九割が失神・痺れと言った毒の症状に見舞われ、総員の全快に二週間を費やした。
その後、七夜の里では、『手作り菓子厳禁』と言うとんでもない掟が男性陣から提出された事は言うまでも無かった。
無論これには真姫を初めとする女性陣が猛反対し、これがきっかけで『七夜南北戦争』と呼ばれる三日間の大戦争にまで発展する事となったがそれは後日の話となる・・・